大衆向け

大衆向けには穴がある。仕方のないことなんですよ。大衆に向けているのだから、それだけ、納得させてくれる何かがあるって「それなりに」思っちゃうわけ。こちらも。

「それなりに」期待してしまうから、抜けを感じると残念な気持ちになったり。コンテンツ以外にも、よく、道理にかなったような、注意喚起をしているひとを見かけるけれど、それも同じ。

なにより「そう思う。」が「そう思いませんか?」に変わってしまったときに、穴がいちばん広がるような感じがする。自己完結であれば、まあ、そういう考え方もあるよなあ。で終わるものを「普通は。」だとか「○○なのだから。」みたいに、断定的と受け取れる言葉でつづるようになった途端に、胡散臭さが生まれてしまうような。

慈愛と謳うときも同じで。愛って簡単に語りやすいテーマのようで、当たり前に難しいというか。掴めない題材なんて使わなければいいのになあ。と思ったり。ね。

 

どうしようもない人間っているけれど、まあ、わたしも含めて。だからって、それを操作しようとするのは、いかがなものかなあ、とも。

スルースキルって大事。自分自身がここぞというときに流しきれないから、輪をかけて思うのだけど。ほら、今みたいに。

なんというか、ここまで、軸も決めずに勢いでくどくどと言ってきたけれど、ひとつの考えを多くの人間が寄り添って支える形が苦手なんです。それを言いたかったのかな、わたしはきっと。